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2022.10.15

米兵に鍛え上げられたOKINAWA ROCKの雄
紫-MURASAKI-のアルバムをアナログで

アナログ音源専門プログラム「33rpm」。
今月は70年代~80年代にかけて英語で歌っていたバンド “MADE IN JAPAN”シリーズをお送りしています。10月22日は、1976年にリリースされたMURASAKIのアルバム『IMPACT』です。


今回ご紹介するバンド、MURASAKIは日本を代表するハード・ロック・バンドであり、アメリカの管理下で進化を遂げたシーンから登場した、OKINAWAロックの中心的存在です。彼らがいなかったらMONGOL800やBEGINも登場しなかったかもしれません…。

1950年1月26日生まれの日系3世・ジョージ紫こと、比嘉常治がMURASAKIの中心人物。幼い頃からクラシック・ピアノに親み、アメリカン・スクールを卒業するころロックに目覚め、アメリカのUCLAへ進学。ところがベトナム戦争が泥沼化したため、帰国してバンド活動を再開します。1970年、ベースの城間俊雄、ヴォーカルの正男の兄弟らと「紫」を結成します。



70年代、沖縄の基地やクラブでは、ベトナム帰還兵を相手にしたロック・バンドが若い米兵たちに鍛えられてOKINAWAロックは発展していきました。紫は、その中心的存在として、コンディション・グリーンと人気を二分していきます。その後ドラムの宮永英一、ギターの下地行男と比嘉清正が加わって本格的に活動を開始。1975年「8.8ロックデイ」という大阪のべントにスペシャル・ゲストとして出演、沖縄のバンドとしては初の本土上陸を果たしました。



76年には1stアルバム『紫』をリリース、国内各地をライブで回り4万枚を売り上げました。その暮れには二枚目のアルバム『IMPACT』を発表、スケールの大きさはそのままに、沖縄音楽を取り入れるなど、さらに進化を遂げました。そして初の本格的ジャパンツアーを行い、東北にも爪痕を残します。77年はライブ・アルバム『DOIN’OUR THING』をリリース、音楽雑誌「ミュージック・ライフ」の人気投票で、バンドは国内1位を獲得。翌年も全メンバーがベスト10に入るほどのビッグな存在となりました。



そんな人気絶頂の78年、宮永英一、ジョージ紫と相次いでメンバーが脱退。同年9月、那覇市民会館で「ラストコンサート」を開催、これ以降は城間兄弟が中心となり紫を継続しますが、81年に解散。ジョージ紫は、アメリカ人と新バンドを結成するも短命に終わり、
81年にジョージ紫&Okinawaを結成。83年には再びオリジナル・メンバーが集い、沖縄グランド・パークに1万人もの観客を集めて復活コンサートを開催します。しかし活動継続までには至らず、ライブ音源を残して帰っていきました。



ジョージ紫は自身のバンドに、かつてのメンバー宮永をヴォーカリストとして迎え入れ、
再び紫を始動しますが、程なく解散。1992年には久々に集結して、イアン・ギラン沖縄公演のサポート・アクトを務めました。その後99年に、ジョージ紫の長男Rayと次男Leonをメンバーに加えて新たに紫を結成、地元のライブハウスを拠点に活動を続けました。現在でも紫はメンバー・チェンジを行いながら活動を続け、イベントなどに出演。2022年にはドキュメンタリー映画『紫~MURASAKI~伝説のロック・スピリッツ』が公開されました。


MURASAKIのアルバム『IMPACT』
SIDE A
「デゥームズデイ」
「フライ・ミー・アウェイ」
「レット・ミー・ゴー」
「オン・ウィングス・オブ・ラブ」

SIDE B
「マザー・ネイチャーズ・プライト」
「テイク・ユー・フォー・ア・ライド」
「ジャスト・ア・ロックンロール・バンド」

MURASAKIのアルバム『IMPACT』いかがでしょうか?
リーダーのジョージ紫は、小さい頃からクラシック・ピアノを習ってベートーベンやショパンに憧れ、ビートルズが出てきたときは「うるさい」と感じたそうです。

紫-MURASAKI- オフィシャルサイト

33rpm『IMPACT』MURASAKI
●ON AIR:2022年10月22日(土)21:00~21:55