2023.1.14
悲劇の歌姫ダリダ
アラン・ドロンとデュエット作をレコードで
33rpm SEASON II(2023年1月21日OA)No.152
ダリダとアラン・ドロン『あまい囁き』
アナログ音源専門プログラム「33rpm」。
1月は「成人の日」があるのにちなんで、大人の音楽をご紹介します。
21日にお送りするのは、1973年にリリースされたダリダとアラン・ドロンのアルバム『あまい囁き』です。
恋に生きたフランスの歌姫ダリダ。
そのドラマチックな人生は、2017年に映画化され日本でも公開されました。
本名は、ヨランダ・クリスティーナ・ジリョッティ。
両親ともイタリア人で、父親のピエトロはエジプトに移住して、カイロ・オペラ座の第一バイオリニストとなりました。1933年1月17日、カイロで生まれたダリダは、兄オーランドと弟ブルーノの3人兄弟。21歳の時、「ミス・エジプト」に選ばれ、その副賞として映画に主演しました。オペラ「サムソンとダリラ」からダリラを名乗り、女優としてのキャリアをスタートします。彼女はそこでフランス人監督に見いだされ、1954年12月24日にパリに渡りますが、ライバルは多くフランス映画界も不況だったため、歌の勉強をして歌手として働き始めます。
シャンゼリゼ通りのキャバレーからキャリアをスタート。
ラジオ番組のディレクターに見いだされ、オーディションを通じてクリエイターのルシアン・モリスと、レコード会社のエディ・バークレイに出会います。彼らは新しいスターを送り出そうとしており、ヨランダは1955年「マドンナ」でデビュー。ダリダに改名して56年にリリースした「バンビーノ」でブレイクします。
やがてルシアンとダリダは恋に落ち、1961年4月18日に結婚。
しかし、ハネムーンもなく、ツアーへと出なければならないほどのスケジュール。仕事漬けで結婚生活はままならず、彼女は新しい恋を見つけてルシアンとの結婚は破綻。1966年には、弟ブルーノがプロデューサーとなって活動するようになります。その頃若い恋人を得ますが、スターとのあまりの差に絶望して自ら命を絶ってしまいます。ダリダも精神的にダメージを受け、自殺未遂にまで追い詰められます。それでも本を読み、哲学を学び、インドで受けた賢者のお告げにより再び歌う決心をしました。
ところが、元夫で仕事の面でも支えてくれたルシアンが亡くなってしまいます。そんなダリダを支えたのが、下積み時代の同志・かつての恋人アラン・ドロンでした。1973年にリリースされた二人のデュエット「あまい囁き」がフランスはもとより、ヨーロッパ、そして日本のチャートで1位を獲得します。
73年の「18才の彼」は9か国、74年の「ジジ・ラモロソ」は12か国で1位となりました。
70年代はいち早くディスコ・ミュージックにシフトし、78年にカーネギー・ホールで公演を行い、アメリカでも成功を収めます。またエジプト出身という事もあり中東諸国でも人気を博し、まさに世界をまたいで活動していきます。その間にも数々のロマンスと別れを経験し、その悲劇が彼女の歌をより魅力的にしていた、とも言われています。80年代には政治的活動が目立つようになり、誹謗中傷を受け鬱状態に。さらに長年付き合ってきた恋人、リシャール・シャンフレーまでが83年に命を絶ってしまいます。彼女は 1987年5月2日の夜に永遠に眠りにつくことに決め、メッセージを残しました。
「許して、人生に耐えられない」
なんと悲しい結末でしょうか…。
ダリダとアラン・ドロンのアルバム『あまい囁き』
SIDE A
「あまい囁き」
「愛のくらし」
「マミーナ」
「悲しみの足音」
「時計をとめて」
「まごころ」
SIDE B
「ゴッドファーザー<愛のテーマ>」
「ひとりぼっち」
「ノンと言わずに」
「恋のときめき」
「バラ色のとき
「さすらいの恋」
ダリダとアラン・ドロンのアルバム『あまい囁き』いかがでしょうか?
ちなみに、恋多き女性ダリダは才女でもあり、フランス語、イタリア語、アラビア語、英語、スペイン語そしてドイツ語を話し、フランソワ・ミッテラン大統領とも関係があったとかないとか…
ダリダ OFFICIAL
33rpm『あまい囁き』ダリダとアラン・ドロン
●ON AIR:2023年1月21日(土)21:00~21:55